祈りのときに考えたこと

June 24, 2025


「ルールとは自由になるために存在する」このことを前提として、人が集う場所の制度設計をしていくことにしたい。規則は、行動すること考えることの自由を縛るものであってはいけない。戦後80年という時間を振り返り、戦前戦中戦後の変遷を学び、改めて「自由」であることについて考えさせられる。

しかし、自由にものを考えた結果、歴史を修正し、都合の良いお話が生まれる。そしてそれらが支持される場合もある。日本人はもっとたくましく、美しく、そのためには決して反省してはいけない、もっと自信を持とう、メソメソするな。誇り高い血族なんだから。いえーい。なんとまあ、そんな自由もある。

あらためて「自由」とはなにか。そのことについてはエーリッヒ・フロム、ジョンスチュアートミル、アンナハーレントetc、古今東西偉大な哲学者たちが考え続けてきたテーマなのでここで深入りするのはやめておこう。保育園に限定して考えてみることにする。保育園はひとつの「社会」であると仮定すると、そこで暮らすみんなの知恵が湧き出たり、勇気を持って何かを試してみたり、いざこざがあったり、仲直りしたり、五感、六感を躍動させ、しなやかな感性を育むことのできる場所であってほしい。であるならば「ルールは自由になるために存在する」という立場で園生活を見直してみたい。

本来の民主主義であったり、マルクスのいうところの国家観については、レベルが高すぎてよくわからないが、個人的な関係性において「これってこういうことかな、こうしてみていいのかな」、という問いから始まり、考えを深化させ、仮説を立て、新しいことにひらめき、ワクワクし、実践してみて、ためらったり逡巡したり、勇気とともに新しさに飛び込んでみて、再び問いを立てる。この循環の尊さを保育園という社会では守りたい。

規則で「ダメ」が多い居場所では、考える力が奪われていく。なぜ「壁!」と保育士が重低音ヴォイスを発生すれば子ども達は一糸乱れず整然としなければいけないのか、なぜ「手はお膝お口チャック」なのか。なぜ「ごめんね~、貸して〜、仲間に入れて〜」と聞こえたら、「いーよー」と言わねばならぬのか、なぜこういうときはこうせねばならないのか。説明のできないルールがあちこちに散りばめられている場所では、「考える」という行為が動き出すことはない。

性善説と性悪説がある。他者を信頼し、安心をベースとした緩やかでおおらかな制度設計の社会と、人を信頼せず(放おっておくと人は悪い行いをするから)罰することで健全さを保とうとする社会。僕は前者の共同体で暮らしたい。そして、その場所で必要となってくるのは、市民性教育(シチズンシップ)であるようにおもう。これまでの日本の教育保育の現場では、この視点が圧倒的に欠け落ちている。他者を尊重する、他者の時間、集中、幸福を個人の自由で奪ってはならない。個人個人の幸せが集団の営みとして一緒に進んでいくこと。このバランスを保つには、自由に考えて行為して、自分事としてこの場を尊重し、より良い状態を築く努力を続けていくほかないのです。その営みを通して、問いを立てること、対話することが習慣になっていく。摩擦が生まれても回復する能力、しなやかな感性、それらを育む教育活動とはどういった状態か。ひとつだけ言えることは、他者のことを思う気持ちは、自分自身が本当の自由を体験して、その尊さを身体的に知っていなくては、他者の自由について思いを巡らすことは難しいということ。だからこそ保育園では、まず安心安全があって豊かに楽しく暮らし、仮説を立て集中し挑戦して失敗したり成功したり、何かの手応えを感じることが出発点なのです。その前提と市民性教育をリンクさせていく。その両輪がこれからの教育に必要な(多様性豊かな社会を目指すなら)ことになってくるでしょう。

僕達は先週、園内研修を通して「規則」についてみんなで話し合いました。安心安全のための大人が守るべき規則はあっていい。しかし、子ども達に求めるのは規則やルールというよりは「お約束」と「習慣」なのである。規則は固定化されたものになりやすいが、お約束は、発達に応じて人と人の信頼で生まれる生き物のようなものです。絶えず変化していい。発達段階やその時の文脈で揺れ動いていい。「決まり」だからと法や規則に縛られるな。信頼をベースにした僕とあなたの間で生まれた「約束」、これを大切にすることの体験は、きっとこれからの新しい民主主義やコモンズの制度設計の力となることだろう。僕とあなたの関係性は、尊くてどこまでも広々としていてすがすがしい。決して記号のように一般化されるものではない。あなたのためなら定型化された規則だって飛び越えていける。

国とか國體とか、そんなもののために祈るのではない。信頼する一人ひとりの生きた歴史と関係性に向けて手を合わせる。毎年6月23日はそのようにして思いを寄せている。